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生命の不思議を見つめて

  本当に死んでしまいたくなるような気持ちというものを、わたしはよく分ります。また、今、そんな気持ちで日々を送っている方々に対して、「間違っている」とか、「あさはかだ」とか、いう気持ちはありません。
  本当に苦しいとき、死にたいとき、死んでしまった方がいいように思えるときがあるものです。そのとき、その気持ちを引き止めるものは何でしょう。自分が死んだら悲しむ人たちのこと、愛していてくれる人たちのこと、あるいは、何か分らないけれど、死に対する漠然とした恐怖、まだ、決定的なことをしてしまうには早いのではないかという躊躇、そして、「自殺はいけない」と強く刷り込まれた観念。そんなものの何かが、引き止めるのでしょう。でも、疲れ果て、苦しすぎて、考える力が衰え、一方の考えだけに病的に押しやられ、躁と欝の境のような所で、決行してしまうのです。
  「自殺してはいけない」という以上の、強い抑止力が、常に心を支配していなければ、穴に落ち込んでしまいます。「死ぬ」という考えが無ければ、自殺など考えません。「生きよう」という心が支配していれば、どんなに苦しくても、「生きよう、生きよう」とするでしょう。
  幼いときから、生きているということの神秘さ、不思議さ、尊さを、よく教え、よく考えるように仕向けていかなければなりません。他の生命を尊び、自分の生命に危機がしのびよったら、どんなことをしてもそこから逃れなければならないという思いを、植えつけておくことです。
  今、自殺念慮に取り付かれている方々、「生きよう、生きよう」と、一日中繰り返し、ご自分に言い聞かせてください。そして、誰にでも、自分の気持ちを打ち明け、今危機に立たされていると訴えてください。
  そして、くれぐれも、危険なところ、危険な行動に近づかないで下さい。誤って、本当に命を落としてしまうことがありますから。今、その危機を抜ければ、また、違ったものが見えてきます。必ず、別な道が開かれます。苦しんでいるもの同士が励ましあい、とてもすばらしい愛を育てることもあるのです。

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なぜ、自殺はいけないか。

 本当に自殺しようとする人は、周囲の人に何らかの信号を出すことが多い。しかし、はっきりと「自殺したい」と言って、相談する場合は少ない。周囲の人々は、いつも、後から、気が付いてやれなくてすまなかったという気持ちにさいなまれる。しかし、後からではどうしようもない。
 だから、わたしは、こうして、皆で一緒に、あらかじめ、普段から、自殺について考えておこうとして、この文章を書いているのです。
 「なぜ、自分で死んではいけないのか?」という問いに、わたしたちは、答えられなければなりません。この際、
すでに決行してしまった人々を非難することは、しないことにしましょう。「つらかったね、ご苦労様」とだけ、言って
おくことしかできません。しかし、今生きているわたしたちは、しっかりと考え、話し合っておかなければなりません。次のような見出しで、少しずつかいていきたいと思っています。
1.生命の不思議を見つめて。
2.とことん生き抜いてみよう。
3.助け合って生きていこう。
4.自分一人の命ではない。
5.話し合いながら生きていこう。


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自殺しないで!

 一年近く、このブログに何も書き込むことが出来なかった。それほど、わたしの受けたダメージは大きく、
ショック状態から立ち上がることが出来なかった。
 彼は、50代後半の男性、若い時から「統合失調症」を病み、同じ病気の妻と共に暮らしてきた。独立心
が強く、よく働いたが、時々状態が悪くなって、入退院を繰り返した。15年ほど前に妻が他の病気で死に、
孤独になった。酒も加わり、近所で騒いだり、最後には、精神病院の院長の家に暴れこんだので、長期入
院となり、10年以上を病院内で過ごした。すっかりおとなしくなり、色も白く、小太りになった彼は、かわい
そうだった。問題は起こすが、活発に働いていた彼が好きだった。
 病院は、なかなか面会をゆるしてくれなかった。何回も掛け合い、家族のふりをして、やっと合わせてもら
えるという状態だった。その場合でも看護人がそばに付いた。この病院は、他にもいろいろな問題を起こし、
指導を受けて、改善され、面会がゆるされるようになった。さらに、退院者のための施設を作り、デイケアも
整え、さらには、良い状態の人々をグループホームに入れるようになっていった。この方針は良い。
 彼は、次第に社会復帰のコースを歩みだし、グループホームでの生活をするようにまでなった。しかし、
喜んでいられるだけではすまなかった。彼と付き合うときに伴う数々の問題を、わたしは抱え込む覚悟をし
なければならなかった。元気になり、社会に出てきた彼は、ひんぱんに電話をかけてきた、行きたい所が
あれば、連れて行ってくれとせがんだ。わたしは、覚悟を決めて、だめなことはだめと言い、しかし、出来る
限り付き合うことにした。
 夏、「今度の日曜日には、教会の礼拝に出たいから、迎えにきてくれ」と言うので、朝迎えに行く約束を
した。 数日後、先に入所していた施設の友人から、わたしに電話があった。「昨夜、彼は自殺しました」
と、彼は告げた。 このところ、ハイの状態が続いていた、すこしはしゃぎすぎていると思ってはいたが、
それが一挙に、落ち込んで、元気と、絶望の境目で、死を決行してしまった。
「今夜、12時に決行する」とだけ書いた紙切れが残されていた。
 退院しなかった方が良かったのか。もちろん、まわりに、わたしなどよりももっと細やかに気をつけてくれ
る保護者がいてくれたら良かったに違いない。しかし、何と言ってもせんないことである。わたしは、だだの
友人でしかなかった。それ以上の者になることは出来なかった。しかたがない。しかし、それでも、彼の
人生を応援する友人の一人であると思っていた。しかし、何の役にも立たなかった。
 わたしは、ショックを受けた。謙虚にされたのは事実である。限界を悟った。しかし、このような病気を抱え、
社会復帰をしようとする人々に、もっと細やかな社会の支援が必要だと痛感した。
 そして、皆に言いたい。仮に病気の状態で、自殺念慮が起こったとしても、自殺の誘惑や、引き込むような
力に捕らえられたとしても、それでも、自殺の決行は思いとどまってほしい。あなたの死を本当に悲しむ者が
いるから。人間仲間がつらいから。そして、そんな試練を共に乗り越えて、生きていくのが人間だから。
                                              2006年7月2日

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