自殺だめ、戦争だめ!
タック・長田(おさだ)秀夫のブログです。
自殺はしてほしくない。戦争は絶対にしないように皆で努力しよう。
わたしの心からの願いです。人生の体験を通して、どうしても皆に
特に若い方々に言っておきたいことです。
「 自殺は、絶対だめ!」 「戦争は、絶対だめ!」
わたしのニックネームは、「 タック 」。 年は、もう、65才です。
わたし自身の体験を、少しずつ書いていきますから、読んでくださいね。
《 自殺について 》
悲しい出来事(1)
わたしより5才年上のいとこが、29才のとき自殺しました。才能にあふれた若い詩人でした。家族の悲しみは何と大きかったことか。彼に期待していた多くの人たちが、どんなに落胆したことか。いとこのわたしは、自分自身がその年を越えて行くことに大きな恐怖を感じないではいられませんでした。彼の死を悼む気持ちだけでなく、支えあうことが出来なかった自責の念と、同様にこの世の命を生きている人間同士として、何とも悲しく、情けなく、力を落とす事件でした。
わたしたちは、決して一人で生きているのではないのです。(わたし自身が、そのことになかなか気づきませんでした)。 自殺の報道が、他の自殺を誘発することがよくあります。自殺は、他の人の生の意欲をも削り取って、一緒に連れて行こうとする働きをします。
一人の人の自殺が、人生の意味を、他の人々に真剣に考えさせるという、逆効果もあるかもしれません。しかし、自らを殺してそうするのではなく、苦しくても一緒に生きて行きながら、支え合いながら、共に人生の意味を考え、喜びを探していきましょう。
悲しい出来事(2)
彼の家に電話をしました。家族が出て、「落ち着いている」とのことでした。安心して電話を切りました。
電話口に呼んでもらわなかったのは、そのころの彼の状況が、家族の中で落ち着いて生活することが第一で、こちらから電話口に呼び出す用事があるわけでもなく、ただ、心配で様子を聞きたかっただけだからです。
電話をしたのが、午前中の遅くで、家族も一緒にいたのです。彼の様子は落ち着いており、その前日、家族と近所を散歩して、「病気も安定してきて良かったね、苦しい時があっても、助け合って生きていこうね」と話し合い。元気な様子であったと言うのです。わたしが電話した日の午後、安心していた家族全員が外出しました。帰ってきたのは、
4時ごろです。夕方、電話がなり、その家族から、彼の自殺が知らされました。
彼は、統合失調症でした。
このような病気がある人であれ、そうでない人であれ、人の心の中は他人には分かりません。また、いくら心配していても、こちらからその人の心の中に踏み込んで行くことは出来ません。
彼のことで、その日電話をしたわたしは、その後ずっと、悲しみ、自分を責め、苦しみました。
「死にたい」と言えば、ただ止められるだけだろう。「この苦しさは、どうせわかってくれないだろう」と、思ったのでしょう。そんなことも考えない、考えられない苦しさ、自殺への誘惑が、心を占領してしまったのかもしれません。
でも、お願いです。くるしいあなたの心を、全部吐き出す人を決めておいてください。それから、本当に自殺念慮、自殺への誘惑が強く感じられるときは、自動的にここかここへ電話し、ここに駆け込む、と決めておいてください。
ともかく、今の苦しみは、通り過ぎればまた、楽になり、さらに日にちをかければ、必ずあなたの人生が輝くときが来るのです。今は信じられないでしょうが、今の苦しみが役立つ日、あなたの命と体験と能力が、他の人を生かすとき
がくるのです。あの青年の、尊い命が失われたことが残念でなりません。
悲しい出来事(3)
彼は、うつ病でした。しかし、それだけでなく、いくつかの内臓の病気を持ち、入院を繰り返していました。いろいろな薬を飲んで、その副作用もありました。少し調子が良くなったある日、お見舞いに行ったわたしに、「車椅子を押して、院内を一回り散歩させてもらいたい」と頼みました。「ゆるされるかな?」と思いましたが、看護士さんに聞くと、ゆるしてくれました。病院内のいろいろな階の、いろいろな廊下を、飾ってある絵画を見ながら散歩しました。彼はとても喜んで、満足している様子でしたが、それは、散歩を楽しんだと共に、わたしに精一杯甘えてみたのではないかと、わたしには思えて、わたしも自己満足しました。
それから、しばらくして、彼は退院しました。しばらくした年末、病院でよくわたしとインターネットの話をしていた彼から、「メールが使えるようになりました」と、ハガキが来ました。わたしはすぐに、そこに書いてあったメールナンバーあてに、年賀状を書いて送りました。電話でそのことを知らせようかとも思いましたが、せっかくメールを送ったのに電話でそれを知らせるのもつまらないと思い、返信を待っていました。毎日待っていました。電話をかけようか、どうしようかと思いながら、正月の日々を過ごし、一週間が過ぎ、もう我慢が出来ず、朝食を食べながら、「O君に電話をかけてみるか」と、独り言を言いました。そばで新聞を読んでいた妻が、「今あなたが言った人の名前が、ここに出ているわよ」と言いました。おくやみ欄でした。彼の死亡と、葬儀の日取りを知らせていました。わたしは、悲しく、くやしく、申し訳なく、葬儀に足を向けることが出来ませんでした。一年近くたった、年の暮れ、デパートの中で、向こうから歩いてくる彼のお母様にバッタリであいました。「O男は逝きました」。「存じ上げておりましたが、悲しくて、ご葬儀にもおうかがいできませんでした」。「わたしたちも、やっと少し落ち着いてきたところです。あの子は、皆にあいさつをして、逝ったようです」。自分の人生に見切りをつけ、それなりに覚悟して、自分の手で命を閉じようと思う人に、
わたしは、言いたい。あなたの人生は、あなただけのものではない。あなたが一人で抱えていると思っているつらさや悲しみは、人間皆が背負っているつらさ、悲しみの一部だ。そして、君が死んだとき、どれほど多くの人たちが悲しみ、たえがたいつらさを味わうことか。それを集め、積み上げたら、どれほど大きな悲しみの山ができることか。自分が死んでも、だれも、たいして悲しみはしないと思うなら、それはとんでもない間違いです。
この悲しい出来事の記事を書くのは、ここでやめます。しかし、自ら死を選んで逝ってしまった友人が、20人近くもいます。わたしは、特別な環境にいるのかもしれません。一般の人たちは、気づいていないのかもしてません。
でも、わたしたちの周りに、自殺してしまいそうな方々が大勢いるのです。わたしは、もはや、耐えられなくて、悲鳴
を上げるような気持ちで、これを書いています。
自殺は絶対だめ。 つらいのを、皆で支えあって、生きて行きましょう。 友が沈みそうになったら、皆で支える役目を交代で果たしながら。
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Comments
はじめまして。
突然お便り申し上げすみません。
ご意見に全面的に賛成します。
死の誘惑に取り付かれている人をこちらに引っ張り出すのは難しいことですね。
強くいうことがいいこともあれば、それでいいんだというほうがいいこともある。
本当に難しいです。
このブログで、救われる方が大勢いらっしゃるといいですね。
下手な文章で失礼しました。
Posted by: joy | 2005.02.26 at 11:23 AM
はじめまして。TAKAと申します。壮絶な過去を背負い、重い鬱病となり早2年。でも色々な事を試してみた。そして「大きな」決断をし、プロテスタントで洗礼を受けました。ですが、通っているのはカトリックk教会。常に疎外感を感じています。神父の目の前で泣いているのに、何のお声一つもない。
奉仕者の方々に切に相談しても「お忙しいから・・」
その一方で、その神父は、同年代の信徒達と飲み会を開いている。シャロームっていったい・・・こんな日々で鬱病が悪化し、もうすぐ入院となりました。
Posted by: TAKA | 2006.10.03 at 01:34 PM
Really perfect!2
Posted by: alex | 2007.10.03 at 03:51 AM
失礼します。
「ビジネスを活かす・私の聖書体験」のご案内
ご笑覧ください。
http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
Posted by: あだち | 2008.07.04 at 08:27 PM